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『住友銀行秘史』は、とにかく登場人物が多い。
銀行員。
経営者。
大蔵省。
新聞記者。
総会屋。
裏社会の人間。
そして、その間を行き交う情報と金と人事。
読んでいると、
「本当にこんな世界が日本の大企業の中にあったのか」
と思う。
しかし、個人的には、イトマン事件そのものよりも、その巨大な事件に直面した住友銀行の人たちが、
何を守ろうとしたのか
という部分が一番面白かった。
会社を守ろうとする人。
自分の立場を守ろうとする人。
上司を守ろうとする人。
派閥を守ろうとする人。
そして、自分なりの「銀行員としての正しさ」を守ろうとする人。
同じ会社に勤めていても、
守ろうとしているものはまったく違う。
内部告発者は、会社への反逆者なのか
著者の國重惇史は、住友銀行の内部情報を大蔵省やマスコミへ流した。
形式だけ見れば、かなり危ない行為である。
会社の内部情報を外部に出す。
経営トップに不利な情報を流す。
場合によっては、会社の評判を傷つける。
現代の企業でも、普通ならかなり慎重になる話だろう。
しかし國重氏本人の論理は、むしろ逆だった。
会社を裏切るために告発したのではない。
会社を守るために、会社のトップと戦った。
ここがこの本の一番面白いところだと思う。
我々は普段、
「会社への忠誠」
というものを、かなり曖昧に使っている。
上司の指示に従う。
会社の悪口を外で言わない。
経営方針に従う。
組織の決定を尊重する。
もちろん、通常はそれでよい。
しかし、
経営トップの行動そのものが会社を危険にさらしている場合はどうするのか。
その瞬間、
上司への忠誠と、
会社への忠誠が、
分離する。
「会社」と「経営者」を同一視すると危ない
これは意外と重要な話だと思う。
会社で働いていると、
社長の意思=会社の意思
のように感じることがある。
特に強力な経営者がいる会社では、その傾向が強い。
「あの人がこの会社を作った」
「あの人のおかげで成長した」
「あの人なら間違えない」
そういう空気が生まれる。
しかし、本来この二つは別物である。
社長は会社ではない。
会長も会社ではない。
創業者であっても会社そのものではない。
会社は、
株主がいて、
顧客がいて、
社員がいて、
取引先がいて、
社会との関係がある。
経営者は、その会社を一定期間預かっている人にすぎない。
にもかかわらず、
経営者と会社を同一視し始めると、
経営者を守ることが、会社を守ることに置き換わってしまう。
ここからガバナンスはかなり危なくなる。
組織への忠誠には、階層がある
この本を読んでいて考えたのが、
忠誠にはレイヤーがある
ということである。
直属の上司への忠誠。
所属部門への忠誠。
経営陣への忠誠。
会社への忠誠。
顧客への忠誠。
そして場合によっては、社会や法律への忠誠。
普段はこれらが同じ方向を向いているので、問題にならない。
上司のために働けば会社のためにもなる。
会社のために働けば顧客のためにもなる。
しかし不祥事になると、これらが分裂する。
上司を守れば会社が傷つく。
会社を守れば経営者を告発しなければならない。
会社を守ろうとすれば、社会に事実を公開しなければならない。
そのとき、
自分はどのレイヤーに最終的な忠誠を置くのか。
これは会社員にとって結構重い問いである。
なぜ組織の中では「おかしい」が止まらないのか
イトマン事件を外から見ると、
「そんな危険な話なら、誰かがもっと早く止めればよかったのでは」
と思う。
しかし、巨大な組織ほどそれが難しい。
上の人が進めている。
自分の担当範囲ではない。
自分より詳しい人が判断しているはずだ。
下手に口を出して間違っていたら困る。
何より、自分のキャリアを危険にさらしてまで止める必要があるのか。
一つ一つを見ると、別に不合理ではない。
だから組織の事故は厄介なのだ。
誰も、
「会社を破壊してやろう」
と思っているわけではない。
それぞれが、
自分の仕事をする。
上司に従う。
余計なことをしない。
自分の責任範囲を守る。
その結果、
全体として誰もブレーキを踏まない組織が出来上がる。
「空気を読まない人」は、組織に必要なのかもしれない
國重氏という人物は、この本を読む限り、かなり特殊である。
住友銀行のエリートとして出世しながら、
上司にも逆らう。
大蔵省とも独自の関係を作る。
新聞記者とも接触する。
行内政治にも深く入り込む。
決して典型的な「模範的会社員」ではない。
だからこそ、面白い。
普通の会社員なら、
「そこまでやる必要があるのか」
と思うような場面でも動く。
組織にとって、こういう人は扱いづらい。
会議を乱す。
上司に反論する。
勝手なことをする。
組織のルールより自分の判断を優先する。
平時には、かなり面倒な人である。
しかし、
組織が間違った方向へ全速力で走っているとき、最後に止めるのもこういう人なのかもしれない。
ここには組織設計上の難しさがある。
全員が國重氏のように動いたら、会社はたぶん回らない。
しかし全員が従順でも、会社は危ない。
内部告発を「勇気」で説明してはいけない
この本を読んで、
「國重氏は勇気があった」
という感想だけで終わらせるのも、少し違うと思う。
勇敢な社員がいれば不祥事を防げる。
では弱い。
会社のガバナンスが、
「誰か一人が人生を賭けて告発してくれること」
に依存しているなら、その仕組みは壊れている。
本来必要なのは、
違和感を正式なルートに乗せる仕組み。
反対意見を記録する仕組み。
経営トップから独立した監査。
内部通報者を守る制度。
重要案件について複数の視点で検証する仕組み。
つまり、
英雄を必要としないガバナンス
である。
優れた組織とは、英雄的な内部告発者が現れる組織ではない。
内部告発者にならなくても、普通の社員が「これはおかしい」と言える組織なのだと思う。
しかし制度だけでは、やはり足りない
一方で、この本を読んでいると、
「内部通報制度を整備しましょう」
だけでも済まないと感じる。
なぜなら組織には権力があるからだ。
誰が次の役員になるのか。
誰がどこへ異動するのか。
誰が評価されるのか。
誰が重要案件を任されるのか。
それを決める人がいる。
そして人間は、驚くほど敏感にそれを察知する。
「この人に逆らうとどうなるのか」
ということを、社員は明文化されなくても理解する。
だから組織文化というものは、
社内報に書かれている言葉ではなく、
誰に逆らった人が、その後どうなったか
によって形成されるのだと思う。
これはかなり重要である。
経営者が、
「自由に意見を言ってください」
と言ったとしても、
反対意見を述べた人が次々と冷遇されているなら、
誰も発言しなくなる。
逆に、本当に反論した人が評価されているなら、
社員は「ああ、本当に言っていいんだ」と理解する。
文化とはメッセージではなく、実績である。
人事は、最強のガバナンス装置でもある
『住友銀行秘史』には、銀行内の人事抗争が大量に登場する。
誰が頭取になるのか。
誰がどのポストにつくのか。
誰が誰の側につくのか。
正直、途中から人物相関図が欲しくなるほどである。
しかし、これは単なる派閥争いではない。
組織において、
人事とは権力そのもの
なのだと改めて思う。
ガバナンスというと、
取締役会。
監査。
規程。
稟議。
内部統制。
といった仕組みを考えがちである。
しかし、
誰を昇格させるのか。
誰を重要ポストに置くのか。
誰に経営会議への参加権を与えるのか。
こちらのほうが、場合によってははるかに強い。
経営トップに異論を唱えない人だけを昇格させ続ければ、
10年後には、
誰も異論を唱えない経営会議が完成する。
その意味で、
人事制度は、会社がどのような意思決定をするかを長期的に決めるガバナンス制度でもある。
エリート組織だからこそ危ない
住友銀行は、当時を代表する巨大銀行である。
そこにいたのは、当然かなり優秀な人たちだった。
だからこそ、この事件は面白い。
愚かな人たちが集まっていたから問題が起きたのではない。
むしろ、
頭の良い人。
政治感覚の鋭い人。
交渉力のある人。
金融の専門家。
官僚とのネットワークを持つ人。
そういう優秀な人たちが大量にいる組織でも、大きな問題は起きる。
ここから得られる教訓は、
「もっと優秀な人を採用しよう」
ではない。
むしろ逆である。
優秀な人間も、組織の力学から自由ではない。
頭が良いから権力に逆らえるわけではない。
むしろ頭が良い人ほど、
「今ここで逆らうのは得策ではない」
という合理的な判断をすることもある。
すると全員が合理的に行動した結果、
組織全体では非合理な結果に到達する。
この逆説は、『失敗の本質』などにも通じる話だと思う。
コンプライアンスとは、「正しいことを言える状態」を作ること
企業では、
コンプライアンス研修をする。
規程を作る。
通報窓口を作る。
確認テストを受けさせる。
もちろん全部必要である。
しかし、それだけでコンプライアンスが強い会社になるわけではない。
本当に重要なのは、
会社にとって不都合な事実が出てきたとき、それを消さずに上へ上げられるか
だと思う。
トップが嫌がる話。
大型案件が止まる話。
役員の責任につながる話。
会社の評判を傷つける話。
そういう情報ほど、本来は経営に届かなければならない。
ところが現実には逆の力が働く。
「もう少し確認してから」
「表現を柔らかくしよう」
「今出すと混乱する」
「まず関係者で調整しよう」
そうやって少しずつ情報が丸められる。
そして経営会議に届く頃には、
重大なリスクが、
「継続検討事項」
くらいになっている。
これはどんな会社でも起こり得ると思う。
『住友銀行秘史』は、昔の銀行の特殊な物語ではない
イトマン事件には、
バブル。
不動産。
総会屋。
大蔵省。
護送船団方式。
銀行の派閥争い。
と、いかにも1990年代という要素が大量に登場する。
その意味では、現在とはかなり違う世界である。
しかし組織の部分は、驚くほど古くなっていない。
強力な経営者がいる。
その周囲に側近が集まる。
重要な情報が歪む。
異論を唱える人が扱いづらい人物として見られる。
人事が権力闘争の道具になる。
問題が大きくなるほど、誰も責任を取りたくなくなる。
これは2020年代の会社でも普通に起こり得る。
だから私は、
この本を「昔の銀行は恐ろしかった」という本として読むより、
自分のいる組織でも同じことが起きないと言い切れるか
と考えながら読むほうが面白いと思う。
「会社を愛する」とは何なのか
最終的に、この本から一番考えさせられたのはここだった。
國重氏は、かなり強烈な方法で自分の会社と戦った。
外から見れば、
会社を裏切っているようにも見える。
しかし本人にとっては、
会社を守るための行動だった。
これは矛盾しているようで、矛盾していない。
会社を愛することと、
会社の意思決定に従うことは違う。
経営者を信頼することと、
経営者を無条件に支持することも違う。
本当に組織に忠誠を持つなら、
その組織が壊れようとしているとき、
「それは違う」
と言わなければならない場合がある。
ただし、その役割を個人の勇気に背負わせてはいけない。
だからこそ、
異論が存在しても壊れない会社を作る。
むしろ、
異論が存在するから壊れにくい会社を作る。
それがガバナンスというものなのだと思う。
『住友銀行秘史』は、巨大経済事件の内幕を描いたノンフィクションである。
しかし私には、
「あなたは会社の何に忠誠を誓っているのか」
と問いかける本に見えた。
上司なのか。
経営者なのか。
自分のポストなのか。
会社そのものなのか。
それとも、その会社が本来守るべきものなのか。
普段は考える必要のないこの違いが、
組織が危機に陥った瞬間に露出する。
だからこの本は、イトマン事件を知らない世代が今読んでも、十分に面白い。
書籍情報
| 書名 | 住友銀行秘史 |
| 著者 | 國重惇史 |
| 出版社 | 講談社 |
| 発売日 | 2016年10月6日 |
| ページ数 | 497ページ |
| Kindle価格 | 1,980円 |
| 単行本価格 | 1,235円前後(中古含む。価格は変動します) |
※本文中の見解は本書を読んだ筆者個人の感想・考察であり、特定の企業・個人・事件の評価を断定するものではありません。イトマン事件の経緯・事実関係の詳細については、本書および公的な報道をご確認ください。価格等は変動する場合がありますので、最新情報はAmazon商品ページにてご確認ください。


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