『欲望の見つけ方』――その欲望は、本当に自分のものなのか

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「自分が何を欲しいかくらい、自分が一番よく分かっている」。おそらく多くの人は、無意識にそう考えている。どんな仕事をしたいのか。どんな会社に入りたいのか。どれくらい稼ぎたいのか。どんな家に住みたいのか。何を買いたいのか。

ところが『欲望の見つけ方』は、その前提そのものを疑う。本書の中心にあるのは、フランスの思想家ルネ・ジラールが提唱した「模倣の欲望」という考え方だ。端的に言えば、人間は「欲しいもの」を直接欲するのではなく、「誰かが欲しがっているもの」を欲する、という話である。

これはなかなか厄介な指摘だ。私たちは普通、「良い会社だから入りたい」「高性能だから欲しい」「魅力的な人だから付き合いたい」「価値のあるポジションだから昇進したい」と考える。つまり、自分→欲しい対象、という二者関係で欲望を捉えている。

しかしジラールは、その間に必ずといっていいほど「モデル」が存在すると考えた。自分→モデルとなる誰か→欲しい対象、という三角形である。たとえば、同僚が評価されているのを見て昇進したくなる。友人が家を買うと自分も家が欲しくなる。SNSで誰かが高級時計を身につけているのを見ると、それまで興味がなかった時計が急に魅力的に見える。

対象そのものが変わったわけではない。誰かの欲望によって、その対象の価値が増幅されている。この考え方を知ると、身の回りのかなりの現象が違って見えてくる。

ライバルは「遠い成功者」ではなく「少し先を行く隣人」である

本書で面白かったのが、欲望のモデルを距離によって分ける考え方だ。遠く離れた有名人や歴史上の人物のように、そもそも直接競争できない相手は比較的安全なモデルになる。一方で危険なのは、自分とよく似た場所にいる人だ。同じ会社の同期、同じ業界の同年代、似た規模の会社、似たキャリアを歩んできた知人——こうした「あと少しで届きそうな相手」は、モデルであると同時にライバルにもなる。

これは非常に実感のある話だと思う。世界的な大富豪が100億円稼いだという話には何も感じなくても、同期が自分より100万円多く給料をもらっていると妙に気になる。知らない会社が急成長していても平静でいられるのに、競合企業が自社より少し良い数字を出すと急に焦り始める。人間は「まったく違う人」より「自分によく似た人」に強く揺さぶられる。

SNSは、この比較対象をほぼ無限に増やした。かつて比較対象は同級生や同僚、近所の人くらいだった。今ではLinkedInやXを開くだけで、自分と同年代の起業家、役員、エンジニア、投資家、コンサルタントが次々と成功を報告している。そして本人は「情報収集をしている」つもりでも、その裏側では欲望そのものが書き換えられている可能性がある。この視点は、SNS時代を考えるうえでかなり重要だと思う。

欲望は競争を生み、やがて目的と手段を逆転させる

模倣の欲望がさらに面白いのは、単なる消費行動の説明に留まらないところだ。同じ対象を複数の人が欲し始めれば、当然そこには競争が生まれる。しかも競争が激しくなるにつれて、「なぜそれが欲しかったのか」という最初の目的は忘れられていく。勝つこと自体が目的になる。

会社の昇進競争などは分かりやすい。最初は「もっと面白い仕事がしたい」「大きな責任を持ちたい」と考えていたはずなのに、いつの間にか同期より先に部長になることそのものが重要になる。

企業同士でも同じことが起こる。本来は顧客価値を高めるために競合を研究していたはずなのに、いつの間にか、「競合がAI機能を出したから自社も出す」「競合が値下げしたから自社も値下げする」「競合がこの市場に参入したから自社も参入する」となっていく。こうなると戦略とは名ばかりで、実質的には模倣である。

競争相手を見すぎることで、むしろ自分たちが何をしたかったのか分からなくなる。これは個人のキャリアにも、企業経営にも当てはまる話だと思う。

「薄い欲望」と「厚い欲望」

では他人から影響されない、純粋な「本当の自分の欲望」を探せばよいのか。本書が面白いのは、そこまで単純な自己啓発には向かわないところだ。そもそも人間は社会的な存在なので、他者から完全に独立した欲望などほとんど存在しない。重要なのは、欲望の起源が自分か他人かを判定することではなく、その欲望が自分の人生にどれだけ深く根付いているかを見ることだという。

そこで本書では「薄い欲望」と「厚い欲望」という区別が登場する。薄い欲望は、周囲の影響によって簡単に生まれ、簡単に消える。新しいスマートフォンが欲しい、肩書きが欲しい、流行の商品が欲しい、みんなが行っている店に行きたい——手に入れた瞬間には満足するものの、すぐ次の対象が現れる。

一方、厚い欲望は時間をかけて形成される。どんな仕事をしているときに充実していたか。どんな人間関係を大事にしたいのか。何をしていると時間を忘れるのか。人生のどんな瞬間を振り返ったとき、自分は良い選択をしたと思えるのか。こうしたものはSNSを数分眺めただけでは生まれない。むしろ長い時間の中で少しずつ積み重なっていく。

だから「自分の欲望を見つける」という邦題から想像するような、価値観リストを作ったり、自分探しのワークショップをしたりする本ではない。自分が現在欲しがっているものを、一度疑ってみる本なのである。

マーケティングの本として読むと、少し恐ろしくなる

もう一つ、本書はマーケティングの本として読んでも面白い。人は商品の性能だけを見て買うわけではない。「誰がそれを欲しがっているのか」「誰がそれを使っているのか」「どんな人になれるように見えるのか」によって欲望が形成される。つまりマーケティングとは、商品を説明する仕事であると同時に、欲望のモデルを設計する仕事でもある。

インフルエンサーマーケティングはその露骨な例だし、BtoBでも事情は変わらない。「先進企業が導入している」「業界トップ企業が使っている」「同規模の企業が成果を上げている」という導入事例が強力なのは、単なる機能説明以上に「モデル」を提供しているからだ。顧客は製品を見る。しかし同時に、その製品を使っている企業を見ている。

この構造を理解すると、マーケティングの見方はかなり変わる。同時に、少し恐ろしくもなる。欲望が社会的に形成されるのであれば、マーケティングとは需要を発見するだけではなく、需要そのものを生み出す行為でもあるからだ。

タイトルから期待すると、少し肩透かしを食う

一方で、本書には弱点もある。邦題の『欲望の見つけ方』からは、「自分が本当にやりたいことを発見する方法」を期待してしまう。しかし実際には、かなりの部分がジラールの模倣理論の解説に使われている。後半では模倣から距離を置く方法も提示されるが、具体的なハウツー本というより思想書に近い。

また、「人間の欲望の多くは模倣である」というレンズが強力すぎるため、読んでいると何でも模倣で説明できてしまう危険も感じる。成功欲も模倣、消費も模倣、競争も模倣、SNSも模倣——説明能力の高い理論には、往々にして過剰適用の誘惑がある。ジラールの理論も例外ではないだろう。

だから本書は、「これが人間行動を説明する唯一の理論だ」と読むより、自分の意思決定を検証するための一つの強力なレンズとして使うのがよいと思う。

「何が欲しいか」より「なぜ欲しいのか」

読後に残った問いは非常にシンプルだった。「それは、誰を見て欲しくなったのだろう?」転職したい、昇進したい、独立したい、家を買いたい、高級車が欲しい、会社を大きくしたい——そう思うこと自体には何の問題もない。

しかし、その欲望が生まれた瞬間を少し遡ってみる。誰かのInstagramやThreads、LinkedInを見たあとではなかったか。同期の昇進を聞いたあとではなかったか。競合企業のニュースを読んだあとではなかったか。

そこまで考えると、「自分が欲しいと思っているもの」と「他人を見た結果、欲しいと思わされているもの」の境界が少し見えてくる。完全に他者から自由になることはできない。しかし、誰をモデルとして生きるかは、ある程度選ぶことができる。

本書の価値は、欲望をなくす方法を教えてくれることではない。欲望と自分との間に、ほんの少し距離を作ってくれることにある。「何が欲しいのか」と考える前に、「私は、なぜそれを欲しいと思ったのか」と考えてみる。その一問だけでも、本書を読む価値は十分にある。

書籍情報

書名欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア
著者ルーク・バージス(著)/川添節子(翻訳)
出版社早川書房
発売日2023年2月21日
ページ数456ページ
価格Kindle版 2,673円(税込)/単行本 2,970円(税込)

※価格は2026年9月時点の情報です。最新の価格・在庫状況はAmazon.co.jpの商品ページでご確認ください。

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